グループメンバーの要約と論評(総括)と「私の結論」

古代オリンピックの歴史上のはじまりは、紀元前766年に、ペロポネソス半島の西の国、エリスの王であったイフィスト王が第1回のオリンピック競技祭を開催したと記されている。その後この競技祭は、徐々に規模を拡大しつつ継続していったが、その期間たるや、実に紀元後の393年までおよそ1200年近くも続いたのである。

ところでこの競技祭がおこなわれるようになった動機というのは、当時イフィスト王は国内全土で長引く戦争と疫病の蔓延により衰えきった国力を回復しようと、いろいろな策を考えて種々試みてみたが成功しなかった。万策ついた王はデルフォイの神託所を訪れて、予言の神であるアポロンの神託をうかがったところ、そのことばは「オリンピック競技を再興せよ」というものだった。王はすぐさま近隣2国のピサ王クレオステネスとスパルタ王のリュクルゴスに神託の旨を知らせた。3者は協力して競技祭を立ち上げるべく、重要な規約の制定をなし、それを厳重に守るために参加国への使者の選出などを行った。

ここで重要なことは、アポロンの神託にある「再興せよ」という言葉である。これによれば前776年以前にもオリンピック競技祭がおこなわれていて、何らかの理由で中断したことは明白である。それともう1つ、イフィスト王らがまっさきにとりかかった重要な規約で、その規約とは「競技祭開催中は、いかなる争いごとも中止し、平和のうちに競技に専念すべし」とする聖なる休戦条約だった。

初期の競技祭の内容というのはシンプルで、最初の13回は短距離走のみで前718年になってから長距離走が加わった。そして前708年にようやく5種競技とレスリングが、前688年にボクシングが加えられたが、それまでは半世紀以上にわたって徒競争だけがおこなわれていたのであった。

論評
オリンピックについて調べたが、わからないことが多すぎた。少し踏み込んだ内容に入ると固有名詞など知らないものが出てくるので、さらに知識が必要となってきた。書籍の要約が担当であり、1冊の本を600字にまとめるものであったが、色々な内容を踏まえながら、順序だてて構成していくことであった。

参考文献
楠見千鶴子著 「ギリシアの古代オリンピック 」 東京 : 講談社 , 2004.6 238p

私の批評
内容ごとに段落に区切られていて非常に見やすい。簡単ではあるが、オリンピックの歴史についてのわかりやすい内容であると思う。



 オリンピックが初めて開催された場所がギリシャというのは皆さんも周知の事実であろう。では、当時のオリンピックがどのようなものであったかを知っているだろうか。そして、またオリンピックというものが当時のギリシャ人になぜ熱狂されたのかを。
 
 昔のオリンピックと、今のオリンピック。この二つの決定的な違いは、当時のオリンピックは決して楽しいだけのものでは無かったということ。まさに命がけだったのである。選手はもちろん、観客にとっても。
 例を上げてみよう。観客はスタンドに早朝から16時間立ちっぱなし。帽子も傘もないまま容赦の無い太陽と、突然の雷雨。得体のしれない腸詰や、岩のようなパンを行商人から売りつけられる。ある主人は奴隷に対して、言うことを聞かないとオリンピュアに行かせるぞと脅したという。
 選手に関してもである。当時パンクラティオンという競技があった。勝敗の決定は相手が負けを認めたときだけ。基本なんでもあり。負けるのは恥として、死を選らんだものもいたという。

 それでも人々は熱狂した。栄光を求めて選手は闘った。ここに、当時のギリシャ人のスポーツに対する情熱を垣間見ることができる。ギリシャという地域は地形が谷や入り江によって深く分断されていたので独立意識が強かった。そして自然資源を奪い合ううち、「誰にも負けない一番を目指す」ことがギリシャ人の生きがいとなっていったのである。
 だからこそ、どんなに過酷な環境の中でも人々のオリンピックに対する情熱は消えることが無かったのである。
 
 論評

 昔と今のオリンピックのギャップにとても驚かされた。劣悪な環境、死に至るまで続く競技。そして何よりそんな状況でも、オリンピックに対して消えることの無いギリシャ人の情熱。
 正直、現代に生きる僕にとっては理解しがたいものだらけである。しかしよくよく考えてみたら、オリンピックに限らずどんなスポーツいおいても原点となっているのは「争う」ということなのである。それを忘れたときスポーツはスポーツで無くなってしまうのかもしれない。

 引用 トニーペロテット「驚異の古代オリンピック」矢羽野薫 出版社 河出書房新社 出版年 2004年
     ページ数 238ページ  

私の批評
読者に語りかけるような口調で説明されており、いつの間にか記事に読み入ってしまっていた。しかし、論評の内容の薄さが目立った。



近代オリンピックの始まりは1892年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵によるソルボンヌ講堂での演説からであった。その内容は、古代オリンピックの概念を生かし、各国から選手が集まり競技を行う、平和のための祭典を行うというものであった。彼の意見に賛同した国々が次々とオリンピック参加を決め、1896年、オリンピック誕生の地であるギリシャのアテネにおいて第一回オリンピック開催が決定した。その後も大会はパリ→セントルイス→ロンドン→ストックホルム(この大会から日本も参加)と順調に回を重ねて行き、オリンピックは世界有数の娯楽イベントとなっていった。しかし第六回のベルリン大会を前に大きな壁にぶつかった。第一次世界大戦である。この戦争の影響により、オリンピックは開催中止となってしまった。ところが、戦後は平和の象徴として始まったはずのオリンピックが戦争に負けてはいけないとして、第七回大会は多大な被害を受けたベルギーのアントワープで行われたのである。このまま続いていくと思われたオリンピックであったが、やはり人間とは愚かなものであり、第十二回東京オリンピックは日中戦争により、第十三回ロンドン大会は第二次世界大戦により、いずれも中断されてしまった。その後も再び復活はしたものの、冷戦に突入したため第二十二回モスクワ大会は西側諸国がボイコットし、それに対抗して今度は第二十三回ロサンゼルス大会は東側諸国がボイコットを起こした。冷戦が終了し、ようやくまた平和なオリンピックへ戻ったといえる。


参考文献:"夏季オリンピックの歴史" フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF(2010.6.1) 
"オリンピックとその歴史" ネリチャギ!テコンドー! http://www.interq.or.jp/ski/sakana/56daigojyurokusyu/olympic/history1.html(2010.6.1)


批評
平和の象徴としてはじめられたはずのオリンピックが戦争によって中止になるとは、本当に人間の醜さを感じる。中止にされることでがっかりするのは世界中誰しも同じであろうが、それまでオリンピックのために必死に練習をしてきた代表選手の悲しみは計り知れない。国家という関係を超えて心から楽しむことのできる数少ないイベントの一つであるオリンピックを政治の延長として利用することは決してあってはならないことではないだろうか。

私の批評
オリンピックにもいくつかの障害があったことが読み取れる。筆者の批評と同感である。

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